研ぎ師の気まぐれ日記H26


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2014年1月7日

香港国際空港ピーチー航空(大阪行き)に乗ってみる・

沙田からタクシーでHK$270ぐらい。約30分で香港国際空港へ到着。
シャトルバスの場合は1時間~1時間半見ておくと良い。ただしバスの出発時間は
あらかじめ計算に入れておくこと。タクシーに乗ると「第2ターミナル」と告げる。
香港のドライバーの半数以上は大陸から出稼ぎに来ており英語は通じないので
ホテルを出るときにドアボーイやコンシェルジュの人に行き先と伝えてもらうと正確に着く。また料金の確認も
してもらうと安心だ。



高速道路を20分ほど走り右手に高層マンション群がずらりと間近に見えたら
あと5分ほどで到着。



第2ターミナル中央付近で下してもらうとピーチ航空のチックインカウンターに
近いので便利である。



中央の入口からは通路がこのようになっており正面奥にカウンター表示パネルが
あるのでそこまで行く。



自分のフライトを探す。ピーチ航空ならMM○○とフライトの時刻、行き先が
OSAKA(大阪)というようになっておりチェックインカウンターのアルファベットが
表示されている。この日はPカウンターだったので、ちょうど真ん中あたりだった。

アップにするとこのような表示になる。



Pカウンターにて荷物を預ける。ピーチ航空は1時間半前に到着しても割と余裕で乗れる。しかし離陸時間の15分前になるとチェックインは出来なくなるので要注意。



チェックイン後は矢印通りに進み手荷物検査、出国検査を通過してからモノレール
にて搭乗ゲートまで向かう。ピーチ航空の場合、ゲート46だったのでモノレールを一度乗り換えなければならない。



乗り継ぎはスムーズ。
1分間隔でモノレールは来るので満員で乗れなくても次のにすぐ乗車できる。



二つ目のモノレールを降りるとこのように表示されている。
エスカレーターで上に上がる。

エスカレーターを上がると一瞬にして雰囲気が賑やかになる。
多くの免税店やレストラン街などが立ち並ぶ。






フードコートもある。

搭乗時間30分前になればゲートへと向かう。





ピーチ航空搭乗ゲートに到着。途中、衛生的なWCも何か所もあった。



たまに搭乗ゲートが変更になる時があるので搭乗時間30分前までに確認しておく。



大阪発とは異なり強風の洗礼を受けることなく搭乗できるので快適だ。

以上、香港国際空港でのピーチ航空の乗り方
説明しました。



2月5日
 
シイタケ栽培2週間前に前知り合いから分けてもらっつた時は
何も出ていなかったのに今日見たら何と、、、、、、、
知り合い何人からかこう云われました。
「これ食べたら笑いが止まらなくなるかも?」と。




2月15日



台湾中櫪(ちゅうれき)の巨大な夜市



親日の人が多い。



未だにこんなリヤカーがあったので驚いた。



ナマズ料理



酒で煮付けてあり生薬の香がする。
これまで食した中で一番おいしい鯰料理だった。
また安いのが魅力。一杯、70元。
日本円で280円。




台湾釈迦頭(しゃかとう)


2月25日

友人から譲り分けてもらった椎茸の菌床が順調にいき
一回目を採ったあと、第二弾もスクスク成長中。




福井のソースかつ丼ならヨーロッパ軒



3月6日



奈良で仕事があり京都に帰る途中、買い物があったので街を走っていたら
3匹の鹿が住宅街を普通に歩いていました。信じられない光景に驚くばかり。 しかし道を歩いてる人達はまったく驚かない様子で普通に通り過ぎて行く。 3匹仲良く歩いて、まだあまり芽がふいていない草を一生懸命探して
食べていたので気の毒に思い、近くのパン屋さんで買った食パンをあげると大喜びで食べました。そのあと、もう一度パン屋さんに戻りパンの耳を頂き、またこの場所へ。たっぷりあげる事が出来ました。




3月7日

昨年の豪雨の数日後、街中を歩いて途方に暮れていた石亀、その名も
A一くん。この家の家族になって5か月が過ぎる。朝、起きるとこのように
お腹の上で私の顔を見つめている。


3月19日



足裏のツボといっても非常に分かり難いものです。しかし自分で自宅で簡単にすぐ 出来るので、ほんの少しツボを覚えておくと便利です。このように人間の 五臓を中心に描いてくれたものは大変理解しやすいし覚えやすいです。毎日テレビを見ながらでも出来る健康法なので指で指圧やマッサージをして刺激するとよいようです。

lung = 肺
Spleen = 脾臓
Kidney = 腎臓
Bladder = 膀胱
Stomach = 胃
Thyroid = 甲状腺
Pituitary = 脳下垂体

3月28日



忙しく手入れも出来ていない庭に気が付くと
すっかり春が訪れていました。

3月31日



第3弾、今度のは更に大きくなりました。普通は開く前に
収穫すると風味が良いと言われますが、左上の標準サイズと食べ比べて
みてもあまり差はありませんでした。今日は豆乳鍋にいれて食しました。


4月5日





今年の京都の桜はこれまでで一番美しく感じました。
これほどにまで京都が美しい街だと誇りに思ったことはありません
でした。地方や外国から大勢の観光客の人たちがFBなどで
京都の桜は世界一綺麗だと写真をアップされているのも見かけました。


親指付け根の骨折のせいで2週間の遅れが出ました。
固定されながらも研ぎは続けていますが手が遅いです。
納期に少し遅れが出ていますが何とか時差を短縮出来るよう頑張ります。


5月4日



香港にて。
今回も宿泊先ホテルは九龍(クーロン)から離れた沙田(サティン)のホテルに宿泊しました。川べりの静かな場所で私のお気に入りホテルです。
到着間もなく武道の友人達が駆けつけてくれる。
郊外なうえ九龍から来るのに地下鉄でも時間がかかるにもかかわらず、わざわざ会いに来てくれました。その後深夜まで飲食いしながら武術談義を共にしました。日中関係は最悪ですが武道に国境は無いというのが私たちお互いの掲げるスローガンです。

5月5日





武道の師匠と兄弟子米国のマイアミから来た弟弟子。
なかなかの甘いマスクで私よりもほんの僅か男前。
友人の映画俳優も来てくれ賑やかな夕食となりました。
1月に香港に行った時に師匠(武術の)の体調があまり優れず
ずっと心配をしていました。
しかし今回はかなり良くなっていたので安心。
88歳という高齢にもかかわらず今も現役で指導をしてくれています。
門派のトップとして世界で数千人の弟子を持つ人ですが戦後の動乱の中を生き抜いてトップについただけあり人間の深みを無限に感じます。
背負っているものが大きいほど人は優しくなれるのでしょうか。

5月6日



武道訓練をしながらも「これに焼きや刃文があればなぁ・・」
と考えてしまう。



中国の古い刀。二重に刃が入っている。



武館の記念旗を頂きました。

5月19日ー20日

台湾から弟弟子が来訪。
彼は台湾では本やDVDを出版し各地でもセミナーや講演など
で、忙しくしています。今回、こうして訪ねて来てくれ教練達と
一緒に演武もしてくれました。自分たちが台湾に行ってもスケジュー
ルが目いっぱいで友人たちと会ったりする時間はほとんどないのでやはり来てもらう事が一番です。二日間にわたりゆっくり武術交流や話ができ多くを語りあえました。台湾も原発を抱える地震国家。日本よりははるかに少ない数ですが新たな建設に対する反対デモなどが盛んに起こっているそうです。




6月2日

熱中症対策の一例

暑さにはスパイシー料理が効きます。
仕事で世界各地の暑い処へ行きました。シンガポール・マレーシア・南アフリカ・メキシコ・カリブ・マイアミ・香港・桂林・台湾南部など。日本より気温は高く40度を超える日もありました。しかし現地の人たちは普通にあまり汗もかかずに暮らしています。私はというと慣れない暑さでスルメのようになってフラフラの熱中症状態。そこで現地の友人たちが教えてくれたのは暑くてもスパイシー料理を食べること。え?と思いましたが騙されたと思って炎天下の中屋外レストランで辛いハラペーニョを使った料理を食べてみました。当然ながら辛さで汗は吹き出す毛穴は開く・・・そうです、この毛穴が開くというのが効果の決め手らしく、確かに食事の後、身体がスッキリし、それまでの暑さで倒れそうなしんどさも吹っ飛んでいました。疑問を抱いていたスパイシー効果は本当に確かなものでした。それからは日本に居ても特に暑い日は唐辛子のきいた料理を食するようにして暑さ対策のひとつとしています。


6月8日











さんに行きました。
建物は元は医院だったそうです。


6月10日








自宅で大量に収穫したビワをご近所さんに配ったあと、のこりをジャムにしました。あえてゼラチンなどは入れず、フランスパンに汁ごとのせていただきます。



ビワの種はウォッカやジンに投入します。
大きいびんより小瓶に最初から分けて作るほうが使いやすく
傷みにくいので我が家ではこのようにしています。



これは月桂樹(ローレル)の葉です。
糸で繋いで除湿機の近くで乾燥させます。
カレーやシチューー、あらゆる料理に活躍します。

6月15日

法事で九州へ。
サンフラワー号で神戸から大分まで。
19時発。



車を4階に駐車してエレベーターで7階まで。


バス・トイレ。


デッキは船が走りだすと風が強く景色を見ながら
くつろげるのは出港後30分ぐらいと早朝到着前。


室内は割とゆったりのスペースがありました。
ベッドは幅が狭く少々窮屈ですがすぐに慣れます。


神戸港出港直後、郵船とすれ違いました。


出港して10分ぐらいで美しい夕暮れの空を満喫できます。






海から見た明石海峡大橋




6月16日
大分港到着、車で大分の道の駅まで走り一服。
これから南阿蘇村までドライブをしながら行きます。



まずは「じりやき」と「ゆでもち」という郷土のお菓子を
買ってみました。じりやきは、少し甘くふくらし粉の入ってない
薄いホットケーキのようなものを巻いてあり素朴な味でした。
ゆでもちは、あんこ餅を薄くして平らに20センチぐらいの
丸にして少し乾燥させたような感じでした。
ゆでもちはファンになりました。
 

国道を走り抜け阿蘇市へ。


途中、ファームに立ち寄りヤギ達とふれあえました。
こんな笑顔で迎えられると長旅の疲れも忘れてしまいます。




阿蘇山にも寄りましたが噴煙を上げだしたので河口には
近づく事が出来ませんでした。


宿泊先に到着しました。


各部屋には露天風呂がありゆっくり身体を休める事が
出来ました。寒い時期に来るとまた良いかも知れません。


6月17日

熊本から日田へ移動。
拳法道場を営む古い知人に会う事が出来ました。
大雨の中、美味しいウナギの店に連れて行ってもらい
ご馳走になってしまいました。


めづらしいウナギの湯引き



6月18日

拳法の古い知人に教えてもらった想夫恋日田焼きそばです。
カリッと炒めたソバにもやし、肉、しょうがというシンプルなもの。
しかし病みつきになる焼きそばでした。


6月19日

日田から別府まで移動。
途中、高速道路が濃霧に包まれ別府での降り口が
見えず、降りることが出来ませんでした。
更に20キロほど進み別府南まで。
料金所でその旨を話すと、同じことが良くあるそうで
切符に印をして頂き別府までUターンを許可頂きました。



大分名物の「とり天」。
いたる所にとり天の看板が出ていました。
これは宿泊したホテルでおつまみに出してもらいました。


湯煙の噴出す海地獄へ。




坊主地獄へ。




山地獄へ。












鬼山地獄へ。






温泉の地熱で温かいためワニの飼育が可能だそうです。
そのためにこの鬼地獄にはワニが沢山いました。

六ヶ所目の白池地獄。
閉館時刻2分前ぐらいに入ったので中はあまり
見ることが出来ませんでしたが熱帯魚とサボテンが
ありました。残り二か所は次回のお楽しみに。




地獄めぐりも終了し帰路につくため
別府港へ向かいました。
サンフラワー号で別府から大阪まで帰ります。



6月22日

道場にてバーベキュー。
指導員たちが手慣れた手つきで焼き上げていき
先に子供クラスの学生たちに食べさせていきます。


私は焼きそば作り。
日田焼きそばを真似ましたが似ても似つかない
えたいの知れない焼きそばが出来上がりました。


ブライアンとエリックも参加。






6月26日

仔猫のときに町内に捨てられていたクロ。
自費で避妊手術をし、耳を片方カット(避妊手術済みの証)してもらい
当初は近所に住む動物嫌いの人らの嫌がらせやトラブルがありましたが、行政が入りこれで5,6年ほど地域ネコとして町内に住んでいます。
ネコ好きな数件が餌や水をあげたりしています。




7月6日
シカゴ大学から大勢の学生さん訪日され
私の道場に護身術を習いに来られました。
格闘技経験者も一生懸命耳を傾けながら学習し
和気藹々とした時間はあっという間に過ぎて行きました。
この学生さん達がまたシカゴに戻り、子供や女性に
護身術を伝えてくれればと願います。







7月17日

大きく甘い白桃を頂きました。
今年はじめて桃をいただきます。
毎日忙しく、季節の移り変わりに鈍感になってきていますが
旬の果実が季節の到来を教えてくれる気がします。


7月18日

大阪支部へ行った帰りに久しぶりに天洋のラーメンを
食べに行きました。とろとろのチャーシューが美味いです。
生ニンニクは好みで入れますが今日は控えました。
我が家では休日前日しかニンニクはNGというキマリがあります。


7月19日

綾部で夜間講習会があり向かいました。
とちゅう綾部花火大会に遭遇。
2000台も収容できる駐車場からゆっくり花火を見る事が
出来ました。







7月20日
大阪住吉大社で子供護身術セミナーを終え
皆で記念撮影。(普段はあまり撮りません)





7月23日

弟子からわらびもちを貰いました。
ここのは予約を受けてから作るという変わったやり方ですが
それだけ作り立ては柔らかく溶けるような食感です。
住所をよーく見るとうちの町内で歩いて1分かからないとこでした。
こんな近所に店があったとは・・・。



7月28日
宇治の依頼主の方のお宅へ御刀を届けにいったついでに
少しだけ平等院を見て帰る事にしました。
京都に住んで長いのですが平等院は初めてです。
また宇治の景色も綺麗です。


正門に続く並木道は蝉の鳴き声がシンシンと・・
風が全くなく湿度も高く。


猫を見かけると、つい相手をしてしまう私はネコおじさん。




建物も綺麗で見ごたえがありましたが敷地内にあるミュージアムが印象的でした。




7月31日

セミナーと両親の介護で福井に帰りました。
帰りに森六蕎麦へいき越前おろし蕎麦。
あちこち行きましたがココが一番。


蓮を見ようと武生ICで降りてみるとお出迎えが待っていました。


これが深夜でなくてよかった。


花蓮公園そまやまに到着するまで延々と
色んなかかしが立っていました。
これはないだろ、、というような物もあり思わず笑ってしまいます。


うちの犬も不思議そうに見ています。




見渡す限りハス、ハス、ハス。
しかし花はほとんど終わっていました。残念。





8月2日

香港の武術組織の顧問に二期目の就任、急きょ催しに出席しなければなりませんでした。これはその香港への往路の機内で撮った写真。
お菓子の袋が気圧でパンパンに破裂しそうなほど膨れ上がっています。
そして香港に近づき高度が下がってくると元の状態に戻りました。
人体への影響を考えてしまいます。



8月3日
約1000人ぐらいのゲスト。
獅子の数もこれまで見た中では最高数でした。
テレビ局も来ていました。






香港の皆さんです。



8月17日
降り続いた大雨で早朝の賀茂川はかなり水位があがっています。
めずらしく水面にガスがかかり綺麗でした。


そのまま刀の用事で三重県まで。


美しい夜明けを見ているのかと思いきや
うちの犬は目を開いたままイビキをかいていました。


8月23日

長野へいく途中、コアラのマーチを買ってくれと家内に頼まれ
(自分で買えば済むのに)多賀SAで買ってきました。走り出すと
ガシャガシャ、ガシャガシャと思いっきり振り出しました。
何をしているのかきくと、あるテレビ番組で普通の人で30分降り続けるとお菓子が中で砕けて更に丸くなって別の食べ物に変身するとやってたらしく、自分は15分に挑戦してみるといきなり云いだしたのはいいのですが運転中横でやられると騒音以外の何物でもなく、かといって15分に記録挑戦中の人間に煩いから止めてくれとは云い辛い。これは15分、待つしかないとひたすら無になって運転を続けました。しばらくするとピタッと音がとまり次のPAで止まって欲しいと。車をPAに止めるとお菓子の箱を開封し始めました。いったい歳いくつなの?と云いながら開封した中身を見てみると完全な球体のボールがゴロリと出てきました。食べてみろ!と云われ食べてみると、食感はチョコレートのトリュフ。サクサク感も残り高級なチョコレート菓子のように見事に変身していました。通常なら30分かかるところを15分でやり遂げた家内の執念の賜を有難くいただきました。





8月24日
長野(諏訪)での仕事を終えて
中央道双葉SAで一服。は獲れたての桃や葡萄が並んでいました。



武田信玄像



初狩PAには必ず立ち寄り舞茸天ぷら蕎麦とスパムむすびを食します。



宿泊先のワシントンホテル新宿に到着
このホテルは会場には近くて便利ですが駐車料金が非常に高いので
車で行きこのホテルに泊まる方は注意が必要です。
ホテル側の指示通りに地下駐車場に車を置きましたが宿泊者割引なども
一切無く二日間車を置き一万円以上の料金になりました。
今後はもう少し良心的な値段のパーキングを探す必要があります。
場所的には便利で中にレストランやコンビニまであり良いと思います。


8月25日

今日から始まる日本美術刀剣保存協会の研磨講習会に
研修生として3日間参加させて頂きます。顔見知りの研ぎ師さんも
多く来られています。ホテルを出る前に朝食バイキング。



8月27日

代々木の日本美術刀剣保存協会研修会にて
この三日間大変お世話になりました。
また違った角度から大事なことを学べました。



8月28日

有明ワシントンホテルにてBAB出版の方と約2時間の打合せ。
その後、姪が来てくれ一緒にホテルバイキングを楽しみました。
夜19時からは練馬で師範練習会。有明からかなり遠く首都高の大渋滞で
少々遅れました。姪も遅くまで付き合ってくれました。

8月29日

水戸へ。
関口流の師範が水戸に住んでいるので立ち寄りました。
武道に対し大変真面目な方で、これをやる為に生まれて来た
と云ってもおかしくないような生活をされています。

写真はSAで売っていた納豆軍団。
京都も納豆は多いですが、やはり本場との違いは明白。




水戸光圀公の像がありました。


公園で少し稽古をした後に師範に水戸で古くからやっておられる
研ぎ師さんのお宅や水戸烈士達の墓、回天神社、天狗党の悲劇に
まつわる鰊(にしん)小屋(敦賀から運んで来たそうです)に
連れて頂きました。当時、純粋な気持ちで国を想って死んでいかれた
方々の事を思うと心が悼みます。
師範と別れたあと大雨が降る中、福島へ向かいました。





8月30日

助手席はわてのもんだす。
後部座席には乗らずいつも助手席でこのようにしています。


朝、福島に到着後、雨もすっかりあがり青空が見え始めました。気温も京都とは大違いで26度。まずは地元の日帰り温泉でのんびり、さっぱりしました。その後、支部長が迎へに来てくれ地元の美味しいラーメン屋さんに連れてくれました。
日和田製麺所という変わった屋号。お昼前から人が並んでいます。


これがそのラーメン。
特徴は太くコシのある麺と20センチほどある長く柔らかいシナチクがたっぷり。チャーシューも厚みがあり美味く味付けがしてありました。スープは豚骨と煮干し出汁。地元の人達が並んでまで来る理由がわかりました。


夕方から知り合いの居合の人が県立の武道館をとってくれ2時間ほど稽古。


稽古が5時に終了。支部長の案内で急いで会津若松へ向かいました。雲がかかっていますが写真の山は磐梯山(ばんだいさん)。とても高く大きく美しい形の山でした。


福島から磐越道を1時間半ほど走り会津若松に到着しました。もうすっかりあたりは真っ暗。しかし会津若松城はライトアップされ、その貫禄に心を打たれました。




この会津若松は馬刺しが美味しいという事で支部長が知っている馬刺しの店へ連れていってくれました。4種類の馬刺し盛り合わせなど、京都では味わえない地元ならではの食べ物を満喫出来ました。(写真が出てきたらまたアップします)
ゆっくり福島までもどり夜10時にホテルチェックイン。長い一日でした。

8月31日

ようやく帰路につきます。
帰りは仙台港からフェリーで名古屋まで。とても楽に帰ることができました。

福島から仙台に向かう東北道のSAでの昼食は牛たん釜飯。
これだけでも食べにまた福島へ行きたいと思うほど旨かったです。


こちらは牡蠣釜飯。


仙台港




太平洋フェリー、「きりしま」にて名古屋まで。
7階進行方向正面の和室。


室内、バス、トイレ共に改装して間もない様子。綺麗で清潔でした。うねりがあって結構縦に揺れました。



テレビ画面で現在地がわかります。


途中、名古屋から仙台へ向かう兄弟船とすれ違い互いに汽笛を鳴らし合う演出は船旅印象に残るシーンでした。


途中、天候が荒れたりもしましたがぐっすり寝て起きたらもう愛知県に差し掛かっていました。


名古屋港に到着。



9月1日

昨年、台湾の名師表演にて頂いたものですがフローリングの床に落としてしまい箱が見事に分解してしまいました。
箱の修理は専門外なので修理に30分かかりました。



9月3日

将陽のミニ・チャーシュー麺に焼き飯、餃子。
ミニにしているところが私の密かな努力です。
効果は出ていませんが。
この将陽のラーメンは純粋な醤油ラーメンですが、私の知る中では京都で二番目に好きな醤油ラーメンです。







9月6日

愛犬キャンディです。習いに来ている子供たちがいつも抱きしめたり、ひっくり返したり、結構おもちゃにしますが常に力を抜いて受け身を保っています。逆に大人に対しては少々わがままぶりを発揮したりと、まるで人間のようです。


9月8日

脈を 測れるポイントです。




9月10日

アルゼンチンの朋友が以前にくれた自身のボレロを歌ったCDを久しぶりに聴きました。彼の名はヴィクター・フィゲロアといいアルゼンチンでは有名な歌手。そして武術の高手でもあります。来年の9月に開催される武術の世界選手権は彼らの国、アルゼンチンのメンドーサで開催されます。(3年ごとに開催され毎回会議によって開催国が変わります)調べてみると日本からアルゼンチンのメンドーサまでは飛行機で片道27時間近くかかりそうで考えただけで気が遠くなりそうです。


9月14日

台湾で開催された太極拳世界大会の時の写真。
私自身も2002年に出場し優勝しました。











9月20日

道場の弟子の一人が腎結石の激痛のせいで動けなくなり数週間前に救急搬送されました。この痛みは3大痛の中の3番目に入るそうで2番目が心筋梗塞、そして1番目がくも膜下出血だそうです。弟子の話ではあまりの激痛のため死ぬのではないかと思ったそうです。しかし病院に搬送されたあとは鎮痛剤の座薬と、あとは安静にして直り(たぶん石が降りた)帰宅したという事でした。しかし今日また道場に来て腰痛を訴えたため再発ではないかと皆心配していました。弟子の中にドクターがいて電話で指示をうけ飛んだり、階段を下りたりして早く石を落とすという手段を選択しました。また、Facebookのメッセンジャーにてアメリカ、フロリダに住む武術家兼救急救命士の指示もうけ水分を大量に飲み尿量を増やすという方法もとり、しばらく様子をみていました。本人は跳んだりして頑張っていました。しかしなかなか疝痛は来ず道場が終わってからも彼を一人で帰宅させる(車で1時間かかる)のも心配だったので深夜3時まで他の弟子も一緒にガストで夜食を食べたりしながら一緒に過ごしました。その間に彼は水分摂取を続け、腰痛と背部痛も下がっていきトイレに6回。フロリダの救命士もメッセンジャーでずっと彼の様子を聞いたりしてくれ、こちらもLiveで様子を報告していました。結局、疝痛が来ることはなく石が降りてくれたようでした。閉店時間がきて彼は自宅へ戻りました。
そのガストの駐車場にとまっていたのがこの車。
ロールスロイス。最近では見かけない車です。






9月28日

福井駅前。
昔と比べて随分と変わりました。
両親の介護と病院へ連れていくため来ています。



家内が鯖江駅にて福井放送で解説員をされていた土屋さんという方と奇跡的な出逢いがあり、その土屋さんに「どてらい男」の撮影があった現場に車で連れて頂きました。家内の父親(関西テレビの元プロデューサー)と土屋さんはこの「どてらい男」を通じて同じ撮影現場で働いていたのです。義父が亡くなったことや、当時の話をしているうちに、土屋さんがお忙しい中、家内をその現場まで連れてあげようと仰って下さったのです。鯖江駅から車で30分ほど。様変わりした街の中を探して下さり、たどり着いたお宅がこちらだったらしく、当時、このお宅を借りて撮影を行っていたそうです。福井震災のシーンだったらしく道路に電柱を何本もたて、火花を散らしながら倒していくシーンやじゃがいも畑を使わせてもらい地割れのシーンなどを造ったそうです。写真には1976年と記されています。










この後、武生の「うるしや」という蕎麦屋さんに向かいました。しかし前回も「本日休業」、今回も曜日が違うのに同じく「本日休業」。これは変だと思い近くの人に訊いてみたところ、もう10年以上前に閉店されたとのこと。この「うるしや」は週間朝日に連載された司馬遼太郎の「街道をいく」という紀行集にも出てくるほど有名でした。
とても残念です。







「うるしや」の閉店を教えてくれたご近所さんが強くお勧めの今庄の「まる金」に行ってみました。そしてご近所さんがお気に入りという、とろろ蕎麦を注文しました。


今庄蕎麦もなかなかのもの。
ご近所さんのお勧めだけあり最高のとろろ蕎麦を食する事ができました。



10月3日
東京へ向かう途中の日の出です。
そのままの色です。




10月4日
東京太田区民体育館にて著名な格闘家の引退セレモニーがあり招待を頂きました。始まる前に雑誌のインタビューがありました。



思い出のリングの上でハワイからかけつけたご両親にこれまでの感謝の気持ちを込めて自ら花束を渡されました。


Hawaii5-0という有名なアメリカのテレビドラマの主演男優もわざわざかけつけて来ました。


10月6日

雨男といわれる時もありますが
テルテル坊主ともよく子供の頃から云われました。
この日も伊達正宗像のところに到着までは雨降り。着いてからも傘なしではおれない状態でした。






ところが5分ぐらいすると・・。
ダブル・レインボーです。




この後は人と会って仕事でしたが夜には仙台名物の牛タンステーキなどを食べに行きました。

厚切り牛タンステーキ


新鮮ホヤのから揚げ、牛タンシチュー、テールスープ



慌しいスケジュールの中、束の間の休息。
松島にて遊覧船(約50分間の周遊)に乗船しました。






心地よい揺れにぐっすり寝てしまい目を開けたら元の場所に戻ってました。






ずんだ餅は餡子が枝豆を磨り潰したもの。
ほど良い甘さで美味しい。シェイクもあるとは。

帰りのフェリーは台風18号の影響で欠航が続き、次に来る
19号が接近する直前の航行となりました。すでに19号が沖縄付近に接近していたため深夜から朝方にかけては非常に強いうねりがあり上下左右にゆれて何度も目が覚めました。
しかし出港後二時間ほどしたときには船上で皆既月食を見ることができ満月が海原を照らし大変美しく幻想的な風景を楽しむ事ができました。



かなり接近して斜めに横切っていったサンフラワー号。






前後しますが、仙台で山城大掾國包の初代から九代までのお墓を偶然見つけましたのでお参りして来ました。






11月3日

国立京都博物館では150年もの間、行方不明になっていた国宝級の「正宗」が展示されていました。
見ごたえがありました。また国宝鳥獣戯画と高山寺も展示されており、そちらの方は待ち時間80分という行列の大人気でした。10月7日(火)~11月24日(月・休)まで。








11月13日

両親の介護で福井に戻りました。
父親所有の土地(果樹園)に樹齢100年ほどの杉の木が4本あったのですが隣人が断り無しに勝手に敷地に入り伐採してしまい、どこかに売ってしまったそうです。また伐った枝やゴミも8メートル四方にわたり投棄されていました。本人はやった事を認めています。昨年から何度も「目障りで日陰にもなるから木を売って欲しい」と(木を切るため)云われてましたが家族にとっては思い出のある杉の木だったのでこれまでずっと断り続けていただけにまさかの光景でした。



帰る途中、綺麗な夕焼けに遭遇。




11月17日
道場の子供クラスの休憩時間にはクイズを出します。
世界の国旗や日本の地理など。
年齢に合わせて質問を考えます。




11月19日

うちの娘のキャンディの口臭が酷いので口の中を開けてみると歯石歯肉炎のようで獣医さんに連れて行きました。
犬は歯石が付きやすいらしく奥歯が岩石のようになっていました。ただ歯石を除去するには全身麻酔で眠らせてからしか出来ないそうで、とりあえずは口腔を殺菌するスプレーをもらって来ました。あと、歯を毎日拭いてやる事を忘れないようにしなければなりません。ようやくノミのシーズンが終わると今度は歯石との闘いです。




11月23日(日)

大阪吹田市の濱屋敷で市民のお祭りがあり戸山流演武の友情出演で功夫の演武を弟子たちがしました。


山崎俊哉大阪支部長


ちびっこも頑張りました!



11月28日

日刀保の東京本部にて受賞式があり出席してきました。
鎬造りの部と平造りの部の研磨で二部門共に入選を頂きました。上は皇居の横、下は東京駅八重洲口。


八重洲口で新幹線切符を購入すると貰えました。
0系時代の人間ですから今の700系なんかに乗るとまるでロケットに乗ったような気分になります。


12月9日

来年1月に香港で出版される本のゲラが送られてきました。
これは写真ページです。



12月17日

家内の中学の同級生が北大路ビブレで京都市消防局の防火運動のイベントでクリスマスソングやゴスペルを歌われました。おそらく気温は0度ぐらい。極寒の中外で素晴らしい歌声を聴かせて頂きました。そのあとは両親の介護とセミナーのため福井に向かいましたが大雪で敦賀から武生までは高速が通行止めになり降ろされてしまい、下の国道8号線も除雪作業中で通行止め。行き場がなくなった数百台のトラックは立ち往生でした。数時間後ようやく普通に走れるようになり暴風と大雪の中を8号線の海岸線で鯖江までたどり着きました。

カーナビに、この雪だるまマークが出だすと危険信号。


予告はわずか数百メートル前から。
いきなり通行止めになりました。




12月18日

研修会のあと家の近所の雪かきをさせられました。雪かき雪国では避けては通れません。やり出したら止まらなくキリがありません。降り出したらまた直ぐに積り元通りになります。雪は解けないので流すところもなくどこか場所を決め山積みにするしかありません。





12月20日
本部指導員たちと忘年会。中国東北地方の家庭料理の店でマントウ(大きい蒸しパン)、トンポーロー(豚肉の角煮
)、豆腐干料理、卵とトマトのスープ、牛筋とねぎの炒め物、蟹焼き飯、イカのから揚げ、水餃子、他 安くて美味しく皆、腹いっぱい食べました。



12月22日

誕生日のディナー。





12月23日
台湾の友人が送ってきてくれたからすみ。
自宅栽培のシメジとヒラタケと軽く炒めて頂きました。


12月24日

北海道から送って頂いたサケのルイベ漬けにイクラ、他に新巻鮭やハタハタの生寿司等々。北海道に行きたくなりました。





12月28日

昨年の豪雨の後で拾った日本石亀のエーイチです。
少し成長して大きくなってきました。


12月30日

福井は吹雪いています。朝からブルトーザーや除雪車の出動で大忙しのようです。大型店舗などは個々で除雪ブルを契約して店舗の駐車場や店の前の道路の雪を除けています。


雪の重みで垂れ下がる竹。これもまた美しいです。